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2006年9月13日 (水)

アレン・セイ自伝

アレン・セイ自伝
"Kamishibai Man"Houghton Mifflin,2005 を描いたアレン・セイがサイトに載せていた自伝。
(訳 堀田穣)
日本の横浜で生まれました。6歳の時、マンガ家になりたかったのですが、世界は戦争中でした。
B29の落とす爆弾を避けて7つの小学校に通いました。戦争が終わり、私の両親が離婚し、私は東京の母方の祖母の所に送られました。私も祖母も火薬に向かう火縄のようにそれぞれに専念し、最終的には私はアパートの一室でたった一人で暮らすことを許されました。 私は有頂天でした。口やかましい大人から離れ、一人で生きるのは天国でした。そしてより重要なのは、私の大きな夢を追いかけられるということです。この夢の実現のためまず最初に私の好きなマンガ家、野呂新平を探し出して私を弟子にするように頼み込みました。私は12歳でした。
次の4年間は野呂さんという偉大な師であり魂の父の下で、絵を描くという、人生で最も幸福な日々でした。16歳の時私の父は米国へ行く決心をし、私を呼び寄せました。私は南カリフォルニアの軍隊学校へやられました。そこで私は金持ちの与太者からひどい英語を習い、生涯にわたる制服と職業軍人嫌いを身につけました。一年後追い出されると、私はスーツケース一つと20ドルだけでカリフォルニアをさまよいました。仕事から仕事へ、街から街へ、学校から学校へ、いつも絵を描きながら。しかし貧乏は私を落胆させました。すべての金儲けの試みの後、私は写真の広告を出し、成功しました。
 私の最初の子どもの本は、仕事の撮影の合間に、私の撮影スタジオで作られました。その本は「マンガ家の弟子」というもので、野呂新平の所にいた時の物語なのです。この後私は自分の絵本を描き始めました。 それでも、書き描くことは凝った、難しい趣味であり続けたのです。しかし数年前、「三年寝太郎」の絵を描いていたとき私は突然、野呂さんの仕事場に少年としていた時の情熱的な喜びを思い出したのです。大人になってから否定していた、かつての思い出との和解の時でした。私の最も愛したものとの再会の時なのでした。

http://kodomo4.kodomo.go.jp/web/ippangz/html/TOP.html国際子ども図書館児童書デジタルライブラリ 野呂新平の作品あり

http://www.eduplace.com/author/say/biography.html
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