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2006年9月13日 (水)

『紙芝居屋さん』について

『紙芝居屋さん』について
「さあ、おいで、集まって子どもたち。」チョン、チョン!
「水飴を買って、お話を聞いて!」チョン、チョン、チョン!!

昔昔、日本の子どもは紙芝居の拍子木の音を聞くと、紙芝居の続きとお菓子のことを心配しながら飛び出して来た。時が経ち、子どもはだんだん集まらなくなり、小さな少年がたった一人残った。そこで、紙芝居屋さんは町へ自転車で行く商売をやめた。 数年後、紙芝居屋さんとその妻は新しい水飴を用意し、紙芝居をしに町に向かった。彼が紙芝居をしながらの回想から我に帰って周りを見回すと、彼は親しげな人々に囲まれていた。かつて彼がよく紙芝居で楽しませていた子どもたちが、大きくなってより熱心に彼の楽しい語りを聞き入っていたのだ。

二つのたいへん違う画風を使い、コルデコット賞受賞者アレン・セイは劇中劇を語り読者を日本の彼の子ども時代に連れて行く。紙芝居屋さんの拍子木が彼の近所でいつも鳴って、走り出していたセイの子ども時代に。

 1937年日本の横浜生まれ。セイは紙芝居(ペーパーシアター)が盛んな頃に育った。というのも経済不況で、多くの人々が生きるために、路上に出て行かなければならなかったからだ。子どもも大人も毎日紙芝居屋さんの周りに集まって、サスペンスに満ちた物語を聞いて、水飴を買った。日本経済が良くなり、最初は電気紙芝居といわれたテレビが普及すると、大道芸としての街頭紙芝居はまったく見られなくなった。ストーリーテラーとして有名で、日本の言語や昔話の専門家、タラ・マックガワンがこの本の序言で、紙芝居芸術家たちはより儲かる仕事、マンガやアニメなど、今日より人気を得ているそれらの創作へ向かっていったと述べている。

 セイは16歳の時にアメリカに来た。彼は12歳の時正式な美術の手ほどきを受けた。そして彼はその後を大変成功した商業写真家として過ごす。数年後、彼はパートタイムで絵本を描いた。しかし1987年、彼が『三年寝太郎」(コルデコット賞受賞)の絵を描いている時に、彼が少年時代師匠の下で絵を学んでいた時のよろこびを取り戻し、子どもの絵本を創るという彼の最も愛する仕事にフルタイムで関わることに決めた。それ以来、『おじいさんの旅』(1994年コルデコット賞受賞)、『鶴の木』『ミルク紅茶』『看板描き』『アリスのための音楽』など多くの絵本を描き、最新作がこの『紙芝居屋さん』である。
マリア・クォン カリフォルニア、ロスアンゼルス 国立日米博物館 2005年5月
(訳 堀田穣)
— Written by Maria Kwong, Japanese American National Museum, Los Angeles, California, May 2005
http://www.houghtonmifflinbooks.com/booksellers/press_release/kamishibai/

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