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イーココロ

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2006年12月 5日 (火)

漫画家の弟子 第4章

水曜日、先生から動くという知らせが来た。そして金曜日、漫画の仕事が予定より一週間早く終った。
「キミがいなかったら、キヨイ、ここで徹夜する所だったよ。」
先生は、私を喜ばそうと誇張したほめ言葉を言った。時田が聞いてなくてよかった。先生が家族と週末を過ごそうと行ってしまうと、時田と私は長い机の上に、最終原稿を広げてみた。
特大の美術作品には何かしら魔術的なものがあった。私たちは先生の手がどこでほんのちょっと震えたか、ペンが跳ねたか、絵筆がためらって染みを作ったかを見ることができた。それは、印刷されたページではまったくわからないものだった。
「ここに署名しておこうぜ」と時田。
「そんなこと」と驚いて言うと、
「なんでいけないんだい、わかりゃしないよ。」
そして彼は繁みの中や、着物の模様に紛らわして小さく署名した。
「先生が、気がつかないとでも?」
「見てごらん、僕がしたと知らなかったら、ここに僕の名がわかるかい?」
確かに認めざるを得なかった。
「先生は印刷されたものは見ないんだ。」
「空に小鳥を描くなんてのはどう?」と私。
「いいね、だけど小さくね。」
私たちは長いことかかって、小鳥や虫や怪しい花に紛らわせて自分たちの署名を、すべてのコマに入れた。
「いつ出来てくるの、これ?」私は自分の仕事が初めて印刷されるのを、とても見たくなって聞いた。
「二週間くらい。カフェにいこうぜ。」
「いいね。女給さんがいいし、コーヒー飲もう。」
 原稿をしまい、仕事場に鍵をかけ、ぶらぶらとカフェへ。私も時田のように厚いスケッチブックを持った。それで芸術家のしるしであるかのように感じた。
二人の女給と店主は前と同じように私たちを歓迎し、私たちの名前さえ思い出した。私たちは窓際に座りコーヒーを頼んだ。時田が煙草を銜えたら、一人の女給がマッチで火をつけてくれた。私は自分が煙草を吸っているような気分だった。
「何で先生は警官をからかうんだろう。」と聞いてみた。
「先生はいつもそうしてたよ。先生は政治漫画家だったし、戦争中は警官はいつも先生を尾行していたんだ。先生が作家でもあるというのを知っているかい?」
 私は首を振った。先生のSF漫画はたくさん読んでいたが、先生が政治漫画家だったというのは知らなかった。
「先生は戦争中あのペンネームを作って、それから?」
「たぶん、警察は彼が仕事をするのを好まなかった。それで、地下にもぐったんだ。先生は軍隊には決して行こうとしなかったからね。殺されようとしたんだ。」
「先生の弟子にどうやってなれたの?」
「新聞読んだんだろう?」
「読んだよ、本当に大阪から歩いてきたの?」
「金がなかったからね、こちらへ来る唯一の手段だったんだ。最初逃げ出して捕まった。10日で富士山の近くの箱根まで歩いた。そこでトラックの運転手が僕をかわいそうに思い、東京まで運んでくれた。ただ一つの問題は、交番で降ろされたことだった。警官が助けてくれるだろうと運転手は思ったんだな。」
「警官はどうしたの?」
「警官は徹夜で僕を尋問したさ。どこに住んでるか、なんでさらわれたか、そういったことを。それから僕のナイフを取り上げた。だから僕は物語ったんだ。老いた親父は貧乏で、母親はガン。語っている物語をそのつもりにするために僕は泣き始めた。しかし、警官はだまされなかった。警官は何故僕がナイフを持って大阪からずうっと歩いてきたか知りたがった。誰かについてきたと思ったんだな、それでほんとのことをしゃべったんだ。東京へは漫画家になるために来たとね。奴らは僕を狂ってると思った。大阪で漫画家になれないのか、親父はどうしてそうさせないのか、それで付添い付きで家に送り返された。」
「手錠を掛けられた?」「いや、でも逃げたら掛けられた。」
「家でどうなった?」
「親父は僕を殴って、下駄で蹴った。殺されてたと思う。指を切ったんだ。」
時田は左手の失くした指を私に無造作に見せた。私は机の下で自分の手を握った。
「ジメジメした天気だとまだ痛む。」
「何でそんなに自身を傷つけようと?」
「それだけおかしかったんだ。斧を取ってやったんだ。」「だけど指ですよ。」「知るもんか。腕ごとでも気にしなかっただろうよ。」
「お父さまは見たんですか?」
「奴の真正面でやったんだよ。奴のことはいいや。親父は相変わらず飲んでいて、そのうち僕が奴の上に斧を振り上げると考えていたんだろう、こっちを殴るのをやめたんだ。奴は僕がいつもナイフを持っているのを知っていた。昔は僕はやくざだったんだ。」
時田はほとんど誇らしげに言って、私がどう反応するか座りなおして見た。私はぞうっとした。やくざは刃で人を殺すことなど何とも思わないギャングの集団に生涯の絆を誓った人間だ。
「それから、二度目に逃げた時はどうだったんですか?」
時田がやくざだった頃のことを話しだす前に、私は聞いた。
「今度こそつかまらないように、夜の間に歩いて昼間は隠れていた。」
「お金は?」「もちろん、もってない。ジャガイモとカブを掘り出して、生で食べたんだ。 食べなきゃならなかったら何でも生きていけるのは驚くべきことだよ。」
「東京に着いてすぐに何をしたの?」
「まず、新聞社の事務所へ行って先生の住所をさがしたよ。二人の記者が僕に質問し始めた。そして僕はこいつら僕を警察に連れて行くつもりだなと思った。それから記者たちは先生を探し始めたけれど、誰も先生の仕事場の場所を知らないんだ。先生が言ったように、彼はこのころ移動し続けていたんだ。とにかく記者たちは僕に食べ物を与え、聞き出し、次の週、第一面に僕のことが載ったというわけだ。」
「それ読みました。」「うん、その日の正午ごろ、新聞社に男が入ってきた。他の誰もそんな着方が出来ない、着物と下駄のへんてこりんな男だ。彼が野呂新平だと名乗った時は信じられなかったよ。有名だからもっと年寄りだと思ってた。先生は僕に何といったと思う? 僕がよければ、弟子にしたいとさ。想像してみろよ。」
「先生は時田さんを救ったんだ。」そう言って、馬鹿なことを言ったと悟った。
「もし先生が来なかったら、どうしてたと思う?」と急いで聞いた。
「親父の所に連れて行かれる前に自殺していたかもね。」と彼は冷静に煙草を吸いながら言った。
「誰か助けてくれたよ。先生でなくても誰かが。」
「たぶんね、でもどうだかな。」
時田はスケッチブックを開き、机を隔てて私を描き始めた。
「君はどうなんだい。あんなふうに先生の所にあらわれて、大した神経じゃないか。」
「うーん、時田さんのことを新聞で読んだ時に、そこに先生の住所があったんだよ。その記事を切ってとっておいたんだ。どれだけ繰返しその記事を読んだか。漫画家になりたかったんだ。」
「金持ちの家の出なら、漫画は堅気の仕事とは思われないね。しかし誰が気にするかね。もし本当にしたいことがあるなら、たとえなんであろうとしなくちゃならないんだ。漫画家になる理由は君が知ってるだろう?」
「よくわからない。先生に尋ねられた時もだけれど。ずうっと望んでいたのは漫画を描くことだった。人々を笑わせるのは良い事だと思う。みんな漫画本を読んでいる。」
「そうだ、絵画や書道等と同じように、漫画は美術だ、もっとも僕と君にとってだけだがね。」と時田。
「僕は親父と漫画について対等に語れなかったし、あいつは僕に堅気になれというような奴じゃなかった。君の父親は裕福だったんだな?」
「いや全然」と私は嘘を言った。
「それでも堅気なんだ。そして、君が言ったように、君が漫画家になるのをなんとも思っていないんだ。」
「何にも言ってない。先生に言ったこと以外は。父親は自分のやっていることを見たらカンカンに怒るだろう。自分は絵の稽古だと言ってるんだ。彼はいい趣味だと思ってるよ。」
「ふうん、遅かれ早かれ言わなきゃならないだろう。それでどうなるかな?」
「たぶん時田さんと同じで逃げ出します。映画を見に行きませんか?」
 私は話題を変えた。
「いいよ、まだ早い。」
私たちはカフェを出て、駅へ通りを渡っていった。時田が私の家族についてそれ以上聞かなかったのがうれしかった。

(訳堀田穣)
The Ink-Keeper's Apprentice
Allen Say
Houghton Mifflin, 1994

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