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イーココロ

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2007年7月18日 (水)

漫画家の弟子 第10章

 週に二回、実物モデルの写生のために、私の勉強時間を割くので、先生たちの宿屋に行くのは週末に限られた。私は夏が来るのを待ち焦がれた。私は決意に満ちていた。よく勉強をしていい学級に上ること、毎日日記をつけること、少なくともスケッチブック十冊に描き込むこと。しかし、夏休みが始まるとともに、私の決意はすっかり忘れられてしまった。私はほとんど先生たちの宿屋で過ごした。仕事のない朝は、時田と私は新聞をざっと見て、街で何が起こっているかを知り、小遠征の計画を立てた。
 東京は百貨店の街だった。この夏、その百貨店の一つがエスカレーターを取り付けた。それは戦争の後初めての導入だった。時田と私はその開店日に行き、エスカレーターを試してみようと決めた。けれど、そう考えたのは私たちだけでないことが判明した。私たちが到着した時、ものすごい数の人たちが入り口の前に集まっていた。バスの車掌のような制服を着た若い女性が、エスカレータの横に立って、乗る客に挨拶し、段への乗り方と、手すりを持つように注意していた。
 時田は驚いて言った。「なんてばかなことやってるんだ。彼女を見ろよ、キヨイ。エレベーターに乗ろうと待っているような馬鹿どもみんなに、あそこに立ってお辞儀しなきゃならないんだぜ。」
「なんで立ってられるのかわからんね。」と私もうなずいた。
「たぶん、今日だけの仕事じゃないのかな。」
エスカレーターはとんでもない無駄のように、私には思えた。私はこの動く階段よりも速く、階段を駆け上れたのだ。私たちが3階に到着しようという時、時田が
「降りて、もう一回試そうぜ。」
「それじゃ、君の言った馬鹿な群集じゃないか?」
「もう一回だけだよ、今度はエスカレーターガールにこんにちは、を言おうぜ。」
 私たちは階段を下って、もう一度長いエスカレーター待ちの列に加わった、そして、順番がまわって来たときに、エスカレーターガールに会釈してこんにちは、と言った。エスカレーターガールは機械的にお辞儀をし挨拶し、見上げようともしなかった。
「ありゃ、お辞儀機械だ。」と私。
「俺たちのこと見なかった。」と時田。
「一日中どうしたらあんなことができるんだ。僕だったら一時間で気が狂う。ありゃ、口から拡声器を突き出したロボットと同じだ。」
「けど、だれかに雇われて、そういいつけられたらどうする。」と父に雇われていた店員たちを思い出しながら言った。
「そんな風に人にさせるのは間違っているといっているんだ。言っておくが、キヨイ、誰のためにも僕は働かないぞ。まず、自分の靴を磨く。」
「どっちでもないな。君といっしょに靴を磨くよ。」
 私たちは4階に上り、飾られたガラスやクリスタルの色々な商品の間を歩き回った。女店員たちは商品の配列を直したりして忙しそうに見えた。時田は高級グラスが溢れているショーケースに近づいていった。ケースの後ろには鏡が張られ、グラスのピラミッドは強い光の下でキラキラ輝いていた。
「僕がこのグラスをみんなひっくり返してまわったら、君はどうする?」と時田。
「店員に僕はまったく彼を見ていなかったというさ。」
「僕というものをよく知ってる奴だな。こんな様な場所のすべてを壊したくならないかい?店員たちはどうすると思う?」
「彼らは君に手錠をかけて大阪へ送り返すさ。」
「これまで気がおかしくなったことはないかい、意味もなくなにかをぶち壊したくならなかったかい?」
「ああ、怒った時は何かをぶち壊したくなったよ、やった時もある。」
「僕はずっと気がおかしいんだろうな。グラスを割るのが楽しいんだもの。ガチャン!という音が気持ちいい。」
「おい、君が気が狂う前にここを出ようぜ。ファン・ゴッホ展を見に行こう。ここからその角をまわった所だ。」
「よし、行こう。たぶん絵に切りつけるだろうよ。」
 見物客は殺到していたが、どっちみち入場券は買った。狭い画廊は壁に沿って綱が張られ、群衆とぞろぞろと見て回った。私たちは画法を学ぶために立ち止まることはできなかった、警備員は立ち止まらないよう注意を与えていた。巨匠の作品を見る方法としては悲惨だったが、それでも作品は私を魅了した。これまで絵葉書やカレンダーや本やそんなものでゴッホを知っていたが、本物は見たことがなかったのだ。その違いはヌード画を見ることと、初めて生のヌードモデルを見ることの違いに似ている。
 それは今まで見た中でもっとも不恰好な絵だったが、見るものすべてを巻き込み、私の鼓動を高鳴らせる暴力的な描写の渦がそこにあった。私は時田を見た。時田はまったく呆然としていた。時田は頭を上げてゴッホの一枚の自画像に向き合っていた、それは剃刀による一騒ぎの後の包帯を頭に巻いたゴッホの絵であった。時田は足を動かしていたが、まったくそのことは忘れているように見えた。時田についてわかって来たことが一つあった。時田は熱中すると、彼の周りが見えなくなってしまうようだ。時田は眼鏡をはずすと、絵を隅から隅までまるで細かい字を読むかのように見つめている。
「時田、歩けよ、進路を妨害してる。」と私はささやいた。ついには時田を引きずり出した。そうでなければ閉館まで彼はそこでぐずぐずしていただろう。
「群がってくる馬鹿野郎どもの中で何を見ろって言うんだ。明日開館にはここに戻ってくるぞ。こんな絵は見たことがない。」と時田はぶつぶついった。
「複製品とはぜんぜん違うよね。」
「あの目を見たか?」
「見えるもんか?君が独り占めして絵を見てたんだぜ?」
「君はものすごい技量に気がつかなかったようだな。」
「何いってるんだ?」「僕は今まで肖像画を描いたことがない、何故なら目を描くのがとても難しいと思うんだ。まつげやまぶたや全部。でもゴッホはそんなものみな描いてる。ゴッホは同じやり方ですべてを描いている、ということがわかるかい?ゴッホは辺縁を均一でもなく、思いつきでもないやり方で絵筆を運んでいる。絵を描きたいな。野呂先生にこのことを報告しなくちゃ。」
「君は絵描きになる興味はないと思ってたけれど。」
「ないさ。でも何枚か描いたって悪くはなかろう。油絵を少し描きたい、水彩とはずいぶん違うだろう。」
「油絵もやったことないね。水彩より簡単だっていわれるけど。間違わなきゃ、すぐ君は描けるんじゃないか。先生に聞いてみよう。」
私たちは大通りを、歌舞伎劇場まで歩いてきた。
時田が聞いた。「歌舞伎を見たことがあるかい?」
「一度ね、有名なやくざの話。何ていってるのかわからなかったよ。昔の言葉を使ってるからね。」
「先生が老人ですら役者が何を言ってるのかわからないってさ。」
 時田は言って、歌舞伎劇場の高い瓦屋根を見上げた。
「ドラクロアが画家たるものオペラ座のてっぺんから飛び降りた人が地面に叩きつけられるまでにその人を描けなければならぬといったのを知ってるかい?」
「そりゃモデルにはとってもきついんでないかい。」と私。
時田はわっはと笑った。「キヨイ、おもしろい、先生に報告だ。モデルにはきつい。」
私にはそれがおもしろいとは思わなかったのだが、時田の笑いを誘ったのだ。
 昼食後、私たちは路面電車を皇居前で降り、お堀に沿って歩いた。
「公園に行って、樹か何か描こうよ。」と私は言って、日比谷公園の方へ向かった。
 天気は良く暖かく、お堀と水鳥を眺めながらのブラブラ歩きは気持ちよかった。この辺りは東京でも数少ない、開放的な空間だった。お昼時で、ワイシャツ姿のサラリーマンたちが草の上で昼食を食べていた。突然私たちはサイレンを聞いた。まず白いバイクの警官が、続いて二台のパトカー、さらに二台。後にはヘルメットを被り、まるで槍のように長い木の棒をそろえて完全武装した起動隊員たちを乗せたトラック隊が続いた。遠くで人々がどなったり歌ったりしているのが聞こえた。その音は公園の入り口の方から聞こえてきた。
「暴動かもしれない。見に行こう。」と時田が言った。
「何で暴動が見たいの?」
「誰が暴動だって言ってる?デモかもしれないじゃないか。」
「どう違うのさ。いつも流血の暴動になるじゃないか。」
「怖がるなよ。どうなってるか知りたくないか?デモを見たことがあるのかい?」
「君が言うようなものにはいっぺんだって参加なんかしてないさ。係わり合いになるつもりなんかないね。」
「馬鹿いうな、なんにも起こりゃしないさ。行くのが怖いなら、ずっと傍にいるから。どうなってるか知りたいんだ。」
私は降参した。「よし、でも君が暴動に加わるなら、僕は離れるからね。」
「もちろん加わるつもりはないさ。行こう。」
 公園入り口の前には膨大な数の人々が集まっていた。そのほとんどは黒いズボンと白いシャツの大学生たちだった。女性は殆んどおらず、数人が周辺に混ざっていただけなのが、ちょっとよかった。多くは政府と首相を非難するプラカードを持って振っていた。袖をまくり、鉢巻をした幾人かの男は、拡声器で取るべき道や、警官を恐れることはないとか、落ち着けとかいうようなことをどなって、群衆を指揮していた。すぐ近くにトラック隊が止まり、大通りに沿って警官隊が、まるで突撃を待つ歩兵のように整列した。警官隊は揃いの黒い制服を着て、不吉で残酷そうに見えた。
「抵抗の行進さ。」と時田。「何に抵抗しているのさ?」と私。
「誰が知るか。社会党を政権の座につかせたいんだと思う。それは彼らがとにかくいつも言っていることだからな。」
ますますデモ隊は門のまわりにまるで磁石に集まる鉄くずのように集結してきた。突然、私は時田と私が警官隊の大きな輪の内側にいるのだと気がついた。警官隊は距離をとっているものの、デモ隊と私たちを包囲していたのだった。たぶん、警官隊の所を横切って向こう側に行くのには遅すぎなかったのだが、私は、6フィートの警棒を持った恐ろしい警官隊を横切るのは怖かった。時田もまた包囲されていることに気づき、私の腕を取って群集の方へ歩き出した。
「何してるんだ!デモなんかに加わりたくないぞ。」と私は驚いて言った。私の声はひっくりかえっていた。
「見ろ、まだ何にも起こってないだろ。抵抗の行進曲だ。」時田は私を安心させた。
 怒りと救いなしを感じて、私は肩越しに、新聞社のカメラマンたちが安全な警官隊の後ろから大きなカメラを構えているのを見た。たいへんだ、もし祖母が私のことを新聞の写真で見たら、私は動揺した。もし母が大学生といっしょにデモをしているところを見つけたら。そして学校の連中はどう思う?いや考えないだろう。私が弁明する前に私を放り出すだろう。私は時田にとてつもなく腹をたてた。全部彼のせいじゃないか。なんで言うことを聞いてたんだ。しかしおそすぎた。私は今デモの中だ、豆腐の中のドジョウのように。カメラマンの砲列からは急いで逃げ出さなくてはならない。選択はないのに、群集にはまりこんでしまった。そしてデモの群集はなんて神妙に見えることか!デモ隊はハミングしたり歌ったりして勇気を奮い立たせようとしているようだった。髪の油の匂い、熱い太陽に焼かれた匂いがしたが、デモ隊のたくさんの人に取り囲まれて、私は安全を感じていた。時田は私の横に体を押し付けて立っていた。30分ほど経ってそろそろ小便の心配をし始めた頃、拡声器の男たちが動くように指令した。群集は前方へうねり、動き出した。3000人?5000人?たぶんもっと、わからなかった。私たちはまるで、巨大なムカデがそのたくさんの足をうまく統合して歩こうとするかのように、ぎこちなく一歩を踏み出した。私は顔のない群集の海の一点だった。もはやカメラは私を捕まえないだろう。なぜここにいるんだ?私はそう思い続けていた。
「列を守って!腕をしっかり組め!隊列を乱すな!行くぞ。」
 指導者たちは私たちを煽った。しかし私の写生帖がなんとも邪魔だった。私は右腕を時田に、左を学生と組んでいた。いつもの木の下駄でなく時田がテニス靴を履いているのに初めて気がついた。つないだ腕が興奮を伴った緊張をもたらし、体を電気のようなものが走ったのを感じた。指揮者たちが吹き鳴らす銀笛で、すぐデモ隊は行進のリズムに乗った。並木道に入って行く道は警官隊に封鎖され、デモ隊は道路の真ん中へ、信号機を通り過ぎて行進していった。道路を分けた白と黄色の線や交通秩序を保つ標識は無意味になった。普段の意識は吹っ飛んだ、デモ隊はまるで夏祭りにお神輿を担ぐ男たちのように、途方もない共通の調子で怒鳴っていた。デモ隊は広い並木道を、端の歩道から向こうの歩道まで、まるで軍隊蟻のように、無慈悲に破壊的に、波打ってジグザグ行進した。窓々から人々は顔を突き出し、歩道も見物人が列を成していた。私たちは今、だんだん逆上し、巨大な中国の竜のようにくねり、肺いっぱいに怒鳴り、小走りで動いていた。今や誰も止めることはできなかった。私を取巻く千人の心臓に合わせて私の鼓動が鳴った。頭は熱を発し、考えるのをやめた。私は肺が痛くなるまで叫んだが、なぜそうするのかわからず、自分の声は聞こえなかった。私はもはや自分の心と体を制御できなくなっていた。群集の莫大な興奮と力に捕らえられ、私はもはや自分がわからず、自分のことを忘れた。街を巨大な円を描いて、長い間行進したように思えた。
 デモ隊は広く開いた場所に突然流れ込み、空が急に晴れたように感じた。私たちの正面には国会議事堂があった。日本の政治の中心、大洋の海の波のようなデモ隊の黒い頭と白い鉢巻のうねりの上にぬーっと現れたのだった。警官隊は議事堂の前に横一線に展開しており、ヘルメットは陽光に輝き、長い警棒は銃剣のように構えられていた。デモ隊はほとんど走って警官隊に向かって突撃した。私は暴走する群集の恐ろしい力を感じた。しかし警官隊は行く手を警棒でさえぎって、彼等の陣地を確保していた。群集は後方からの数千の体に突き上げられて、ののしったりわめいたりしながら散開した。
「首相を出せ!」とデモ隊といっしょに私は怒鳴った。
 デモ隊は警官隊を押し、警官隊は押し返した。突然デモ隊のものすごい数の人々がよろめきながら前進した。警官隊の阻止線が破れた。決壊したダムから溢れ出した水のように、デモ隊は破れた所から入り込み国会議事堂に向かって突進した。警官はいたる所にいた。警官たちは警棒を猛烈に振り回し、あたりは殴打の重い音や悲鳴、うめき声で満ちていた。私と腕を組んでいた男は時田を乱暴に振り払い、前方によろめいた。私の写生帖は地面に落ち、簡単に踏みつけられた。作戦も指令も規律もなかった。デモ隊は散乱し走り、互いにつまずいた。幾人かは落ちている石など何かを拾って投石していた。警官隊は警棒で叩いたり突いたりした。血が流れた。私は恐怖から叫んでいた。恐怖と混乱で私はもはや動けなかった。目の片隅に時田が見えた。彼の顔面は蒼白だった。帽子は飛んでしまい、眼鏡をかけていなかった。馬鹿な、眼鏡なしでは何にも見えないのに、との考えが一瞬よぎった。時田の手で何か光った。飛び出しナイフだ!何にも考えずに私は時田に飛びついた。
「僕だ、僕だ!馬鹿野郎、そんなもん捨てろ!」
 私は両手で彼の腕を押さえながら、どなった。私は時田をこの狂ったデモ隊の暴走から方向を変えさせようと、無茶に引っ張った。私は本能的に、もし巻き込まれたら踏み殺されると感じたからだった。私は時田を片手で掴み、自由な方の手は行く手をさえぎる者には誰にでも振り回した。まるで夢の中の戦いだった、私の腕に力はなかった。しかし私が掴んでいる時田はまるで万力のように掴まっていた。なぜなら私は背が高かったので、警官のいる場所が良く見えたのだった、私は警官のヘルメットが光るのを見るたびに押したり肘打ちしたり蹴ったりして方向を変えたのだった。暴徒と化したデモ隊は今や、白いシャツを地に染めた負傷者や、ヒステリーに陥った女性などを擁しながら後退しつつあった。突然合図を受けたかのように、警官隊は群集を追い掛け回すのをやめ、距離を保ち、再結集し始めた。拡声器を持つ指導者たちが再び警官隊をののしり、同士に隊列に戻るよう叫び始めた。そんなことは無視した。私は目の見えない時田の手を引っ張りながら反対の方向に走り続けた。
「おい、腕が痛い! 眼鏡をかけさせてくれ」と時田がどなった。
 時田は眼鏡を失くしていなかったんだ。戦いが迫ってきたのを見て、眼鏡をはずしたのだった。しかし眼鏡なしでは何にも見えなかっただろうに。私は刃物店での出来事を忘れていたのだ。それから私は時田がヴァン・ゴッホの絵に切りつけると言ったことを思い出した。あの時、時田がナイフを持っていることに気がつかなければならなかったのだ。時田がズボンのポケットから眼鏡を取り出してかけた時、その手に血がついていた。
「どうしたんだ?」時田の手を指して言った。胃がむかついた。
「ありがとよ、もう少しで別の指を切り落とす所だった。君が馬鹿のように僕を引き回して引きずったから、僕は刃を折りたたもうとして自分を傷つけちまった。」時田は人差し指をすすりながら言った。
「誰か刺したのか?」
「馬鹿いうな。誰も刺しちゃいないよ。」
「なんで君の胃を切開して見せるのに刃を使わないんだ。」
「何言ってるんだ。僕は君を守ろうとしたんだぞ。」
「僕を!?次からは自分のことだけ心配するんだな。僕はこんな馬鹿どもと一緒になりたくはなかったんだ。君は誰かに殺されていたかもしれないんだぞ。」
「何のことだ。この馬鹿どもが我々を殺そうとしていたと知ってたって?無茶苦茶なことをいうな。しょんべんちびってるくせに。」
私は自分を見ると確かにパンツが濡れておりしかも気がついていなかった。しかしそんなことが気にならないほど私は怒っていた。
「誰がデモに加わろうといったんだ?それからその馬鹿馬鹿しいナイフだ。君はそんなもの買いに行かないといったのに。嘘つき!」
「僕は君に約束なんかしちゃいないさ。僕を君が引きずりまわさなきゃ、まだ僕はナイフを持ってた。」
「なんでデモ隊なんかに加わったんだ?なんでデモなんかしてやがるんだ。答えろ!」
「ちょっとまて、キヨイ、ちょっとまってくれ。こんな所に立って13歳の説教を聴かなきゃいかんのか?」
「もう数日で14歳だ。」
「なんだって?」時田は冷笑した。
「じゃあ大人に聞こう、デモやストライキは間違ってるのか?より良い仕事や、賃金や、政府を求めるのが悪いのか?たぶん君はこれまで思ったようにうまく育てられて来れたんだろうが、ほとんどの人がそんな幸運はなかったんだぜ。この下らん世界を変えようと人々が挑むのが悪いのか?デパートにいたエスカレータガールを覚えてるか?どうしたら毎日十時間もあんなことやってられるんだ。君だったら一日も持たないだろう。戦争を望んだか?親が離婚することを望んだか?君は僕がデモ隊のけだものたちと同じくらいとんでもない親父といっしょのこの世に生まれることを望んだと思ってるのか?くそ親父と母親が最初にセックスした時、僕のことを考えたと思ってるのか?そんなことは僕にはまったく関係がない、全部だいきらいだ!僕が知っているただ一人の良い人は先生だけだ。」
「けど、君はほとんど僕らが殺されそうに…。」勢いを失って私は言った。
「見ろ、まだデモってる。」と私は国会議事堂をあごで示した。
時田も「こんなふうにしゃべってるのはよくない、ここを離れよう。これで隠せ。」
彼は私にぼろの上着を渡した。
「それから、このことは先生にはないしょだぞ。」
「君がナイフを川に投げたなら言わないさ。」
「言ったろう、持ってないって。2700円がドブの中だ。君の年齢にしては力があるな。」と時田は言って私が引きずり回した腕をさすった。私は彼がナイフを失くしたとは信じていなかったが、何もいわなかった。

(訳堀田穣)
The Ink-Keeper's Apprentice
Allen Say
Houghton Mifflin, 1994

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